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高橋留美子『うる星やつら【完結編】』を鑑賞して

投稿日:2018年5月15日 更新日:

昭和ラブコメアニメの金字塔

1988年公開のうる星やつら【完結編】を視聴して。
生粋の平成生まれなのだが、最近うる星やつらにはまっていて、【完結編】まで見終わったので所感を書き残すこととしたい。

星レビュー

ストーリー:★★★☆☆
脚本:★★★★★
キャラクター
カリスマ性:★★★★★
リアリティ:★★★★☆
声優:★★★★★
台本:★★★★☆
テーマ:★★★☆☆
世界観:★★★☆☆

まあ、主観だけれども。

見所をネタバレなしで。

『うる星やつら』を語弊を恐れず、かつ最も悪くいうとするならば、「ただの痴話喧嘩」だと表現できる。

これだけ聞くと全く魅力を感じないが、この「ただの痴話喧嘩」を一躍時代を風靡するようなラブコメアニメの金字塔に仕立て上げたのは、ひとえにその素晴らしい脚本とキャラクターのカリスマ性、リアリティ(声も含めた)だと言える。

本作、完結編も例に漏れず、ストーリーをプロットとして書きおろすならば、「主人公がさらわれたヒロインを助けに行き、そこで生じた勘違いから仲違いをして仲直りするまでの物語」だと表現でき、新しさや斬新さを感じさせるものではない。

しかし、先の要素によってその”ありふれた物語”は、より高次な次元のものへと昇華を果たしている。

まず主人公・諸星あたるがクズだと言うところがポイントで、理想化された聖人君主なんかよりよっぽど身近で、リアルな存在として感情移入を容易にしており、見ているだけでイライラさせるように作られている。そうなったらもう製作陣の術中にハマったも同然、釈迦の掌の上の孫悟空で、物語の結末に対して、そのイライラが解消するという「爽快感」を求めずにはいられなくなるのだ。

そして、期待通り、そのイライラを視聴者の意表をつく形で解消して見せ、視聴者は涙のカタルシスに沈み、甘美な”現実”に浸ることができる。

また、ヒロイン・ラムの悲しみにくれる描写が美しい。うる星やつらでは魅惑的な声を、光の玉が転がるような視覚的表現(文字通りの玉の音)で上手く描写するという、共感覚的な表現がなされることが前々からあったが、目から悲しみが伝わってくるようである。

加えて、すでに『うる星やつら』を視聴済みの方には言うまでもないことであるが、キャラクターのカリスマ性がすごい。あたるはクズにも関わらず気取らず、芯には人一倍の優しさを秘めていて、とにかくかっこいい。学生時代のバイト先のマスターなどはもろにこの世代だが、かなりパーソナリティ的に影響を受けていて、当時の世相も相まって影響を受けた人は多いのではないだろうか。

そして、ヒロイン・ラムにおいてもそのカリスマ性は顕著で、彼女の健気さが、えも言えぬ感情を掻き立てる。胸を掻き毟られる感覚を覚えるほどだ。ポイントは彼女が理想化された女性でありながら、欠点を残しているという点である。あのガチャガチャ性格、悪気なく周囲に迷惑をかけるいう性質、まさしくあたるとお似合いのカップルであり、もしも欠点のない完全に理想化された存在だったとしたら、これほど人を惹きつけることもなかったのではないだろうか。

物語終盤の台本にも注目だ。

最高のエンターテイメント・ラブコメアニメの金字塔を味わってみたい、近年の量産化された大量消費を前提とした駄アニメに辟易としている、という方には心よりオススメできる。

手元に置いてなんども見直したい昭和アニメの最高傑作だ。

所感をネタバレありで。

さて、ネタバレ込みで完結編の良さを語ってみたい。

僕は、少し変わっているかもしれないが、「自分だったらこの後の展開をどういう風に設計するだろうか」という視点で物語作品を鑑賞するようにしている。その視点から見ると、僕の注意は「どう物語を展開するか」という脚本の素晴らしさに釘付けだった。

完結編は途中で問題の再設定がされていて、それはあたるとラムの鬼ごっこのスタートによってなされている。当初は「いかにさらわれたラムを奪還するか」だったのが、「いかに好きという言葉を使わずに好きであるという気持ちを伝えて鬼ごっこを終わらせるか」にすり替えられるのだ。

ここで考えるわけである。「どうせ仲直りはして記憶は失わないんだろうけれど、あたるはどうやって好きという言葉を使わずにラムに好意を伝えて鬼ごっこを円満に終わらせるのだろうか」と。

この解答として製作陣が提示したのが2つ。1つは、あたるに「忘れるもんかー!!」と言わせること。2つは、伏線として登場させていたラムのツノを、あたるが大切に持っていたことを「あたるの意図とは関係のないところで」伝えるということだ。

僕の頭が弱いからかもしれないが、これを見たとき「うまい!一杯食わされた!」と感じたものだ。なるほど、そうやって再設定した問題を解決するのか、いやはや脱帽ものである。

あと、とても気に入っているのが物語終盤の台本。

「嘘でもいい、嘘でもいいから言ってほしいっちゃ」「ばか、こんな状況で好きと言ったら本当か嘘かわからんだろうが」という対句と言っていいような見事に対比された構造のセリフがたまらない。この二言で二人のパーソナリティと心情が見事に表現されていると感じた。

軽はずみに言うことで言葉が軽くなってしまうことを案じ、また、気恥ずかしさも相まって素直に好きだと言えない男心、言われずとも伝わってはくるものの言葉で聞いて安心したいという女心、時代を超えて普遍的な人情の機微を射抜いていると言えるのではないだろうか。

また、これは個人的な好みになるが、欠点のあるキャラクターというのがとても好きだ。僕自身「欠点のない人間なぞは人間ではない」と思っていて、欠点は虚構のキャラクターにリアリティを与えてくれると考えている。「うる星やつら」では、あたる・ラム共に理想化された存在であるにも関わらず、欠点を抱えている。そしてこれは、あえてそうされているのだとも捉えられる。

あたるは女好きでかつ性格もクズだが、秘めた優しさを持ち、ラムはガチャガチャした性格で悪気なく周りに迷惑を振りまいてしまうが、一途で健気である。そのギャップが、とても「人間らしさ」を感じさせるのだ。

そして、周囲キャラクターは(彼らもまたとても魅力的なのだが)優しさをもって、二人の地球規模の傍迷惑な痴話喧嘩を見守るのだ。

直線的なストーリラインでかつ、挑戦的で斬新な物語とは決して言えないティピカルなものではあるが、それを差し引いても僕の人生史に残る最高の物語である。

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