
2025年10月07日 · 1分
最近、「なぜ自分はスタートアップをやるのか」という問いを投げかけられてそういえば深く考えてなかったなと思ったので考えてみた。
いくつか理由はあるが今考えているものは3つ。
大きな会社にいたりすると「普通」という柵にとらわれることが多々あると思う。 出来上がった仕事のフロー、出来上がった出世の手順、出来上がった組織構造と決められたポストの枠、出来上がった意思決定のフロー、これらは先人が産みの苦しみを経て洗練された末にできたものだ。
これらのルールは組織の運営、安定経営という意味ではいいかもしれないが、何か新しいことをやろうとすると積み上げたものが多いほどイノベーションのジレンマというか既存のものとの整合性を合わせたり、カニバらないようにしたりすることにエネルギーを割かれてしまう。エンジニアリングでいうところのレガシーコードに似ている。(自分は普段からレガシーコードは既存のビジネスを支えているという点でリスペクトを持って言及しているためなんらネガティブなニュアンスを含むものではない)
これを避けていい意味でも悪い意味でも"ゼロから"最適解を作っていく、というより、強くてニューゲームをやり続けるというのがスタートアップをやる意義だと思う。
普通じゃないことをすることが過度に目的化しないように、巨人の肩に乗ること、あるいは自分の持っている強み、資源を最大限活用することを前提としつつ、普通じゃないことをやることで、普通じゃない成果が出せるのだと思う。これは普通のことを普通じゃない程度にやることも含む。
どういうことかというと、要するに「なんとなくできそうだけどまだ世の中でできてないことを実現する」ということ。
フリーレンにおいてユーベルは「髪は切れるものだからね」と言って、ゼンゼの最強の髪を簡単に切ってしまう。普通の魔法使いが「あんな複雑な術式がかけられている髪は切れない」という「普通」にとらわれている間に、ユーベルは直感との矛盾を見出し、髪はハサミで切れるものなんだから切れるはずだという発想で実際に切ってしまう。

なんとなくできそう、という感覚はとても重要だ。エンジニアリングでもこれは簡単にできるはずだと思えることが解決の1つ目のステップになることは多い。
スタートアップは、世の中の普通に対して、ユーベルをする(あえてここではもう動詞化してしまっているが)ことで「なんとなくできそうだけどまだ世の中でできてないことを実現する」のが存在意義だと思う。
大きな組織にいると政治でポジション争いに勝てるかが打席に立てるかどうかに割合として影響しやすい。スタートアップでは政治、ポジション争いによって得られる地位や立場がない分、自分でその地位や立場を築くという打席に強制的に立たされ続ける。
少し前だとインプットなしで打席に立たされ続けて成長しないということが起こり得たが、昨今のAI時代、AIと話せば何かしらのPDCAは回すことができる。AIを使って爆速でPDCAを回し、成長して、1と2を実現していくこと、これが3つ目のスタートアップをやる意義だと思う。
これは成長が目的ではなく、普通じゃないことを成し遂げるために不足する分を高速で成長して補おうということを言っている。
とどのつまり、打席に立ち続け、普通じゃないことをやって、失敗すればAIを使ってPDCAサイクルを回し、ユーベルをして、そして普通じゃない結果を出すため、というのが僕個人の中での「なぜ自分がスタートアップをやるのか」の結論だ。(もちろん、金銭的にアップサイドが〜というのはスタートアップにおける役職によっては前提としてあるとは思うが。)
以上。
# 記事の精読に基づく反証
## 1. 「なんとなくできそう」という直感の扱い方
著者は「なんとなくできそう、という感覚はとても重要」と述べ、ユーベルの例を引いています。しかし、ここには重要な問いが欠けています。
「AI時代、AIと話せば何かしらのPDCAは回すことができる」という主張について。
著者は「普通じゃないことをやることで、普通じゃない成果が出せる」と述べていますが、この因果関係は自明ではありません。
著者は慎重に留保をつけており、極端な主張は避けています。その誠実さは評価できます。しかし、この動機の体系には、以下の根本的な問いが残ります:
これは「どこで戦うか」は語られているが、「何のために戦うか」が語られていない状態です。前者だけでは、困難に直面したときに方向転換の判断基準も、踏ん張る理由も見つからないでしょう。